2025年10月22日

初めてのオリンピックで見えた「重圧」と「成長」ー戸上隼輔が語るパリの真実ー

戸上 隼輔

2024年のパリオリンピック。初めてのオリンピックの舞台に立った戸上隼輔(井村屋グループ所属)は、その数日間を「人生でもっとも重い時間だった」と振り返る。
リオオリンピック、東京オリンピックに続くメダル獲得が期待され、日本代表として戦う中で戸上が感じ取ったものとは何だったのか。
重圧、葛藤、手応え、悔しさ─その全てが混じり合った初オリンピックの実像を語ってくれた。


|日本代表として戦うという重圧


戸上が最初に語ったのは、オリンピックという舞台で背負った責任の重さだった。


「日本代表として戦う重圧と責任の重みを、一番強く感じました。自分のプレーを出し切れた試合もあったし、出し切れずに負けてしまった試合もあった。でも、それぞれが大きな経験になったと思います」


プレッシャーに押しつぶされそうなほど苦しくなる場面も多かったという。それでも逃げずに最後まで卓球と向き合い、最終日まで戦い抜いたことは、大きな財産になった。


大会に臨む前、戸上はオリンピックの空気は重苦しい緊張感に包まれたものだと想像していた。

しかし、実際の会場は意外にも普段の国際大会に近かったと話す。


「もっと張り詰めていると思っていました。でも雰囲気自体は意外といつも通り。もちろんみんながメダルを狙って本気で来ているのは伝わるけれど、会場の空気は思ったほど重くなかったです」


さらにオリンピックならではの光景として、卓球をよく知らない観客が数多く会場に足を運んでいたこともあり、これまで経験してきた大会とは違う応援の仕方が見られ、これが戸上にとっては心地が良かったという。


良いプレーが出れば会場が大きく沸き立ち、オリンピック独特の大声援の中で、一球一球を楽しみながら戦うことができたことも、かけがえのない経験になったと振り返った。


|他の国際大会とは違う、オリンピックだけの特別な重み


例えば世界選手権とオリンピックの違いを尋ねると、戸上の答えは明確だった。


「世界選手権の場合は、基本的に毎年出場の機会があります。でもオリンピックは4年に1回しかない。しかも団体戦は世界選手権では5人選ばれるのに対し、オリンピックでは3人しか選ばれない。やっぱりオリンピックは特別です」


ほとんどの日本選手たちは、まずオリンピックに出場することを第一の目標に掲げて戦っているため、オリンピック代表を決める先行レースは、世界選手権の先行レースとは全く別物だという。

「4年に1度しかない舞台」そこに立つことそのものが、選手にとって強烈な意味を持ち、特別な価値がある。


もちろん、世界選手権やその他の国際大会でもメダル獲得を目指して戦うのは同じだ。

しかし、オリンピックは多くの選手が人生を懸けて出場を狙い、選ばれた者だけが立てる特別な舞台だからこそ、メダルへの想いはどの大会よりも強くなる。

「ここでメダルを取りたい、取らなければいけない」そんな気持ちが込み上げてくるのだという。


|落ち着いてオリンピックに臨めた理由─先人の言葉


初めてのオリンピックにもかかわらず、戸上は比較的落ち着いて試合に臨むことができた。

その背景には、水谷隼や登坂絵莉からの助言があった。


特に印象に残っているのは、「絶対に練習通りにはいかない」という言葉だ。

たとえ自分の調子が良くても、相手がそれ以上に調子を上げてくることもある。そうした状況でも「最後まで諦めないこと」が大切だと教えられた。


事前に経験者の話を聞くことができたおかげで、最高のシナリオから最悪の展開まで、さまざまなイメージを頭の中でシミュレーションすることができた。

その準備があったからこそ、オリンピック本番の試合では過度に緊張せず、そこまで焦らずにプレーをすることができたと振り返る。


実際、団体戦3位決定戦で0-2の劣勢の中、自分に順番が回ってきた時、彼らの言葉を思い出したという。諦めずにあそこで踏ん張れたのは、あの言葉のおかげと戸上は語った。


また、「オリンピックだからといって特別視しすぎる必要はない。やることは世界選手権やワールドツアーと同じ」というアドバイスも大きかった。

こうしたオリンピックチャンピオンたちの言葉が、戸上を落ち着かせてくれた。


|団体戦で見えた世界のトップレベル


団体戦での戸上の使命は、まず1番のダブルスで勝ち、2番のエース張本選手につなぐことだった。

仮にダブルスを落としても、3番のシングルスでは必ず勝ち、4番、5番に流れを渡す。その役割を常に意識していた。


準々決勝の台湾戦では、そのイメージ通りに試合が進み、1番ダブルスと3番シングルスの両方で勝利をあげた。チームに2点をもたらすことができたことは大きな手応えになったという。

一方、準決勝のスウェーデン戦では、1番ダブルスと2番張本選手の勝利で理想的な流れができていたが、3番の戸上は敗れてしまった。


その時のことを「相性的に苦手意識のある相手に対し、その気持ちを引きずったまま試合に入ってしまったことが敗因につながったのかも」と振り返った。

1ゲーム目は先取したものの、2ゲーム目、3ゲーム目と接戦を落とすうちに焦りが募り、「ここで決めたい」という思いが空回りした。


メダルを強く意識していないつもりでも、「ここで勝てばメダル確定」という思いが心の片隅にあったのかもしれないと戸上は語る。相手の気迫に押され、力を出し切れずに敗れてしまったことが悔やまれる結果となった。


そして3位決定戦のフランス戦。スウェーデン戦とは逆に、0-2と苦しい状況で戸上に順番が回ってきた。

会場はアウェイ。しかも対戦相手はオリンピック前に完敗した相手で、正直勝てるイメージがなかったという。

ここで終わってしまうかもしれないという不安があった一方で、「絶対に諦めてはいけない」という強い気持ちもあった。


「自分が勝てば張本選手につながり、2-2のイーブンに戻せる」というイメージを持ち、チャンスはまだあると信じて戦った結果、3番の勝利をつかみ取ることができた。

恐怖と期待が交錯する中でつかんだ勝利は、戸上にとって大きな意味を持つものとなった。


|オリンピックの悔しさはオリンピックでしか晴らせない


パリでの戦いが終わった後の気持ちを戸上はこう振り返った。


「日本に帰りたくないと思いました。男子団体はリオ、東京とメダルを獲り続けてきたのに、自分の代で途絶えさせてしまった。その悔しさと、果たして自分は本当に日本代表として戦う価値があったのかという葛藤でいっぱいでした」


正直なところ、日本に滞在する時間は精神的にきつく、早くドイツの所属チームに戻りたいと思っていたという。

今でも、オリンピックの悔しさや敗れた時の光景がよみがえって眠れなくなる夜がある。


「他の大会でどれだけ結果を残しても、オリンピックの悔しさはオリンピックでしか晴らせない。ずっとそう思っています」と戸上は語った。


|プレッシャーとどう向き合うか


オリンピックの舞台裏で、戸上は押しつぶされそうになるほどのプレッシャーに襲われた。

コートに入る直前までは嗚咽が止まらないほどだったという。


対戦相手の表情を見るたびに逃げ出したくなり、「なぜ自分は卓球をやってきたのか」と後悔すら感じるほど、プレッシャーは大きかった。

そんな戸上を支えたのは、人とのつながりだった。


「ベンチコーチやスタッフに自分の状況や不安を相談したり、チームメイトと卓球以外のたわいもない話をして気持ちを切り替えたり。周りの人たちに相談すると、ポジティブな言葉や勇気をもらえることがとても多かった。あれがなかったら潰れていたと思います」


信頼できる人たちに不安や悩みを打ち明けることで心が晴れる瞬間が訪れ、頑張ろうと前を向くことができた。それが戸上にとって、オリンピックという大舞台に挑む大きな原動力となった。


|パリオリンピックで得たもの、そして未来へ


初めてのオリンピックで戸上が得たものは、単なる経験ではなく、痛みを伴う成長だった。

重圧と向き合い、敗北を噛み締め、仲間と支え合いながら戦い抜いた時間は、確かな自信につながっている。


「パリオリンピックの悔しさを晴らすのは、次のロサンゼルスオリンピックでしかできない」


胸に刻んだ痛みを未来への糧として、戸上隼輔は次の舞台へ向かっていく。