
恐怖の道場で身につけた、揺るがない基礎―金メダリストの原点
レスリングが好きで始めたわけではなかった。
むしろ、練習に行くのが怖くて、辞めたいと思いながら通っていた。
それでも毎日マットに立ち続けた先に、後のオリンピック金メダリスト・土性沙羅の原点がある。
恐怖と緊張の中で過ごした小学生時代は、彼女に何を残したのか。
レスリングとの出会いは親の勧め
土性がレスリングを始めたのは小学2年生の頃。
きっかけは、競技への憧れでも、強くなりたいという意思でもなかった。
「太り始めていた私に、親が『何か運動をさせないとまずい』と思ったみたいです。年長の弟と一緒に始めようということになり、レスリングだけじゃなく、柔道や合気道、空手も見学に行きました。その中で、自分たちで選んだのがレスリングです」
通うことになった道場は、吉田沙保里の父・吉田栄勝先生の道場。
土性の父が高校時代、吉田先生にレスリングを教えてもらっていたこともあり、その縁で指導を受けることになったという。
「当時の道場はそんなに広くなくて、マットも半面あったかどうかくらいの広さだったと思います。年季が入った建物と、先生がものすごく怖かったこともあり、私にとっては暗くて怖い場所でした」
厳しすぎる練習、それでも一人だけ勝てなかった
生徒は少人数で、小学生以下は土性と弟、そして年中と小学1年生の姉妹の合わせて4人。
その中で、大会成績ははっきりと分かれていた。
「その姉妹と私の弟はどんどん強くなって、早いうちから全国大会優勝などの好成績を残せるようになっていました。でも私は同じ大会で2回戦負け。みんなのような結果は出せず、一人だけすごく弱かったですね」
1年を通して休みは年末年始だけ。
基本的にほぼ毎日、19時から21時半過ぎまで練習していた。
指導は、今振り返ればかなり厳しかったと話す。
「休憩はほとんどなかったです。文字通り体に叩き込む指導だったので、体中にアザを作りながら、たとえ鼻血が出ても、そのまま練習を続けるのが当たり前でした。今は完全にアウトですが、先生の指導どおりに全然できなくて、マットの端から端まで張り飛ばされたこともあります(笑)」
辞めたいけど言えない。怒られないことを考える毎日
当時の土性にとって、練習は恐怖だった。
道場に先生が入ってくる足音だけで、緊張が走る。
「最初の頃は恐怖しかなくて、本当に練習に行くのが嫌でした。先生の足音が聞こえただけで『は!来た!』って萎縮するくらい。私は一番怒られていたので、とにかく怒られないように1日をやり遂げる。それしか考えていなかったですね」
先生の指導方針の中で、土性は“叱られることで伸びるタイプ”と見立てられていたため、より厳しい指導だったという。
「吉田先生は基本をとても大事にしていたので、足の位置や手の位置など、細かい部分を徹底的に指導されました。自分はやっているつもりでも、先生には『できていない!』と厳しく叱責されましたね。今思うと、その“つもり”を先生は見抜いていたのかもしれません。でも、当時は少しも気が抜けない環境で、すごく大変でした」
本音では辞めたかった。
「何とか休む理由をいつも考えていましたね。弟が熱を出した時はチャンスで、体温計をわざと温めて、私も熱があるふりをしたり。それくらい本当に辞めたかったんです」
それでも辞められなかった。
「親には『辞めたいなら自分で先生に言いなさい』と言われました。でも、私は先生に言えなくて…足音だけでも怖いのに、直接先生に辞めたいなんて、とてもじゃないけど怖くて言えなかったんです(笑)」
結局、その一言がずっと言えず、土性は中学校を卒業するまで道場に通い続けた。
恐怖の先で見つけた“強くなる感覚”―勝てるようになって変わった意識

道場に通い始めて2年が経った小学4年生の時、土性は初めて全国大会で優勝を飾る。
「その後も、5年生、6年生で優勝して、全国大会で3連覇できました。中学の時は2年生、3年生で全国中学校選手権で優勝して、2連覇しました。自分の中でも、実力がついてきている実感があって、その頃からレスリングが楽しいと思えるようになりました」
結果が出るにつれて、気持ちや環境にも変化が生まれたと話す。
「辞めたいと言えず渋々続けていたのが、“もっと強くなりたい”と思うようになりました。主体的に練習に取り組むようになって、私の意識が変わったことで、怒られる回数もかなり減りました。そのあたりから、先生との信頼関係がより強くなったと思います」
怒られないように耐える場所だった道場は、いつしか自身を強くする場所へと姿を変えていった。
「あのピリピリした空気感、先生の絶対的な存在感があったからこそ、真剣にレスリングに向き合えたんだと思います。そうじゃなかったら、私の性格的にあんなに真面目に取り組んでいないし、途中で辞めていたと思う。実力が上がったことで、合宿にも参加させてもらえるようになり、そこでいろんな選手と出会って、レスリングに対する意識、練習に取り組む姿勢も確実に変わりました。辛く厳しいことは多かったけど、結果的にあの環境で良かったと思っています」
“1cmずれたら技じゃない”基礎の刷り込み
吉田先生の指導の根底には、徹底した基礎づくりがあった。
だからこそ、少しの妥協も許されなかったという。
「たとえば、タックルの足を出す位置が少しでも違うと、それは技じゃないと。『1日1cmずれたら、積み重なってどんどん違う技になる。だから絶対にずれるな』といつも言われていました。すごく厳しくて、雑なことは絶対に許されない。頭では分かっていても、試合でできないこともありました。でも、毎日毎日繰り返すうちに体に染み込んで、最終的には考えなくても体が動くようになりました」
そして、徹底して体に叩き込んだ基礎は、階級が変わっても揺らぐことのない土台となった。
「重量級は体格やパワーを活かしたスタイルが多いので、軽量級のように速く動ける選手はあまり多くないんです。でも、私は子どもの頃から軽量級と同じように速く動く練習をしてきたので、その動きが体に染みついています。その今までの積み重ねが、日本人には不利と言われる重量級で勝つ武器になったと思っています」
指導者になった今、思うこと
現在は指導者の立場で選手に向き合っている土性。
自身が体験してきた環境は、決して穏やかなものではなかった。
「鉄拳が飛ぶのは当たり前の厳しい環境でした。でも、その場には必ず親もいるんです。それは先生の方針で、子どもが必死に頑張る姿を親がしっかり見て、子どもと一緒に本気で向き合うべきという考えでした。厳しい指導に対して、親なりに思うところはあったかもしれません。でも、そこには“絶対に選手を強くさせる”という先生の強い信念があったので、親も先生を信頼して、信じて任せるという環境が成り立っていたんだと思います」
厳しさの中で育った経験は、確かに自分を強くした。
だが、そのすべてをそのまま次の世代に渡すわけではない。
「正直、基礎ができていない選手が多いとは思います。でも今の時代は、指導が厳しすぎると競技を嫌いになる子もいると思うんです。私自身が厳しい指導を知っているからこそ、褒めて伸ばすことを意識しますし、自分の経験を思い出しながら、考えて指導するように心がけています」
過去を否定するのではなく、そこから学び、時代に合った形へと変換していく。
その視線の先には、かつての自分と重なる姿がある。
「どんなに頑張っていても、結果が出ないことはあると思います。でも地道にやっていたら、どこかのタイミングできっと報われる日がくると思うんです。“一番弱くて全然勝てない、先生にいつも怒られている”という私でしたが、それでも地道にやり続けて、必死で頑張っていたら結果がついてきた。それが自信につながったし、自分が変わるきっかけになりました」
苦しい時間は、無意味ではない。
積み重ねは、見えないところで確実に力になる。
続けていれば、きっとどこかで変わる瞬間は訪れる。
