
「世界を獲りにいく強さを次の世代へ」受け継がれる伝統と、変わる時代の狭間で
かつて自らも汗を流した母校のマットに、今は指導者として立つ土性沙羅。
2025年4月に至学館レスリング部のコーチに就任してから、9ヶ月が経過した。
厳しさの質が変わり、選手の姿勢も変わりゆく時代。
追い込まれることが当たり前であった時代から、コミュニケーションが必要とされる時代へ。
土性が考える指導とはー
母校での指導、朝5時半から始まる1日
現在、コーチとしての働き方は週3回。
部員は高校生・大学生・OGを含めて20名弱だ。
朝練は5時30分から始まり、終わりはだいたい7時30分頃。
高校生は、練習場である至学館大学から至学館高校まで1時間ほどかかるため、朝練は5時30分〜6時30分が高校生、6時30分から大学生とOGが合流するという形を取っているという。
午後の練習は17時から19時30分頃までで、土性は1日で朝練と午後練の2部練習を担当している。
至学館らしい特徴は、高校生からOGまでが、同じ練習場で一緒に汗を流していることだ。
朝はマット練習ではなく、ランニングや走り込み、ウエイトトレーニング、階段ダッシュなどが中心。練習メニューはヘッドコーチともう1人のコーチが考え、土性は必要に応じてその一部を任される形で、メニューを組み立てるというよりは、現場で一人ひとりをよく見るという役割を担っている。
スタッフ体制としては、栄和人氏が現在は最高顧問として主にOGを見ており、ヘッドコーチが監督を兼ねる形で指導現場をまとめ、もう1人のコーチと、そこに土性が加わる4人体制となっている。
土性はその中で唯一の女性コーチだ。
コーチ就任にあたり、学長から土性には「全員をまんべんなく見てほしい」との要望があった。
その言葉を受けて、土性は特定の選手だけでなく、常に全体を見渡しながら、できるだけ多くの選手に声をかけることを意識しているという。
「厳しさ」は変わった—心を折らないための指導
自身が現役だったころについて、土性は「今では考えられないような厳しい環境だった」と振り返る。
当時は体罰まがいの指導もあり、選手たちはそれを当たり前として受け止めてきた時代だった。
しかし今は当然ながら、そのような指導は許されない。
時代が変わったことで、選手たちのメンタル面にも違いを感じているという。
「自分が現役だった頃と比べると、ちょっと注意しただけで泣いてしまったり、拗ねてしまったりする選手が多いと感じます。もちろんダメなものはダメと伝えますが、いかに心を折らないように、日々の取り組みの中から成長や努力といった褒めるべき部分を見つけ、選手のやる気をどう引き出すかを意識して指導するようにしています」
そして、土性は一つのマットにとどまらず、練習中は常に歩き回るように心がけているという。
マットごとに選手の動きを見ながら声をかけ、次は別のマットへ移動し、また別の選手へ。
全員をまんべんなく指導するため、同じ場所に居続けないよう意識している。
技術の言語化に悩む日々

具体的な技術指導の場面では、土性ならではのこだわりもある。
たとえば、タックルに入ったあとの処理。タックルに入ってからポイントを取りきるまでの間で、大雑把に取りにいってしまう選手が多いと感じている。
選手によっては、何度伝えても毎回同じ大雑把な取り方を繰り返してしまうという。
「違うでしょう、ちゃんと自分の足に乗せて、脇で挟んで取りなさいと。あえて強めに伝えることもあります。練習ではなんとなく取れてしまっても、試合では絶対に通用しない。体に正しい癖をつけないとダメなんです」
他にも、へっぴり腰になって相手にプレッシャーがかからない選手には、お尻の使い方や足裏にかける体重の割合まで具体的に伝えるようにしている。
「その体勢だと腰が反って痛くなるから、もう少し丸まっていいよ」といった微調整のアドバイスも入れつつ、背中を丸めすぎると今度は手が出なくなるため、ちょうどいい体のポイントを選手自身に探してもらうことも促しているという。
指導する中で、土性自身が当たり前にできる動きを、他の選手ができない場面に直面することもある。
「私は現役時代、ここをドーンとやって、ここをギュッと引いて…みたいな、どちらかと言うと感覚的な教え方をされてきたんです。そこから動きをイメージして、実践してきました。でも選手たちに同じように伝えると、ちょっとよく分からないです、と言われてしまうことも多くて(笑)言葉で具体的に伝えることの難しさを日々痛感しています」
同じ体勢を再現しても「ここに力が入らないんです」と選手から言われることもあるという。
土性にとってスムーズにできる動きでも、その選手は思ったように力が入らない。
そういう時に、どうアプローチをすればいいのかが最近の悩みの一つだという。
だからこそ、相手がどうされたら嫌か、どこを押さえられたら動きづらいか、ということを選手自身に考えさせるようにしている。
脇で相手の足を挟んで逃げられないようにする、足首を取って相手が動けないようにするなど、なぜその方が相手にとって嫌なのか、実際にその動きを交えながら練習することで、選手の理解がより深まると感じているという。
「活気がない」今の雰囲気と、変わらない至学館らしさ
土性の現役時代と今のチームを比べると、練習の雰囲気は大きく変わった。
「正直に言うと、全然違います(笑)自分たちの頃と比べると練習自体に活気がなく、声も出ていないと感じます。コロナ禍の影響により、練習中に声を出せない時期が長く続いたことで、今でも自然と声を出す意識が薄れてしまっているのかもしれません。また、目に闘志を宿して取り組んでいる選手が、すごく少なくなった印象です。でも闘志に火が付きさえすれば、選手たちには十分に自分の力を伸ばすことができると私は感じています」
近年は新入部員が減り、レスリング部全体の人数も少なくなった。
土性が現役の頃は、高校生で全日本選手権を制覇した選手もいたが、今は全日本選手権自体に出場できない選手も多く、チーム全体のレベルは残念だがそこまで高くないのが現状と率直に語る。
それでも、至学館らしさは今も変わらないという。
「高校生・大学生・OGが一緒に練習している女子チームって、他にはほとんどないと思います。私たちはずっと、全員で一つのチームという感覚でやってきたし、それは今も変わっていません。高校生は高校生、大学生は大学生ではなく、全員で強くなる。その一体感こそが、至学館の良さであり強みだと思っています」
自らが経験してきたチームの文化を受け継ぎながら、時代に合わせた新しい指導方法を模索する。
その両立にこそ、今の土性のコーチ業の難しさとやりがいが詰まっている。
世界トップと同じマットに立つ環境
至学館大学は、指導者たちへのトレーニング機会の向上を目的に、2025年5月に世界レスリング連合(以下UWW)との戦略的パートナーシップを締結した。
UWWとのパートナーシップにより、至学館大学には、世界トップレベルの選手から発展途上国の選手まで、さまざまな国と地域の選手たちが練習に訪れるようになった。
「普段は日本人同士で練習しているので、海外から強い選手が来るとボロボロにされてメンタル的にやられてしまう選手もいます。でも、それが大きな刺激になっているとも感じます。世界選手権の最重量級で優勝した選手や、オリンピック出場選手も来てくれるので、そんな選手たちと同じマットで練習できる機会はなかなかない。すごく貴重な経験だと思います」
厳しさの質は変わっても、世界で勝つための環境づくりは、今も至学館の根底に流れている。
かつては選手として、そして今はコーチとして。
土性沙羅は変わりゆく時代の中で、至学館レスリング部の強さと伝統を、次の世代へ伝えようとしている。
