2026年4月22日

レジェンドと戦った高校3年生の全日本―山本美憂、小原日登美との最初で最後の対戦

登坂 絵莉

高校3年生の登坂絵莉は、2012年ロンドンオリンピックの選考会を兼ねた全日本選手権で日本女子レスリングのレジェンドたちと対戦した。

完全にノーマークだった高校生が世界王者たちと向き合った舞台は、登坂のキャリアを決定づける分岐点となった。

子どもの頃に見た“オーラ”が目の前に立った日

最初の接点は、登坂の地元・高岡での合宿だった。


「小学生の時に強化選手の合宿があったんです。その合宿に山本美憂さんが先生として来てくれて、教えてもらったことがあります。山本一家として注目されていて、めちゃくちゃオーラがありましたね。それが山本美憂さんとの出会いです」


そして、高校3年生で初めてシニアで出場した2011年の全日本選手権。

ロンドンオリンピックの選考会を兼ねたこの大会で、登坂は山本美憂と対戦することになる。


「山本さんは何回か引退と現役復帰をしていて、その時もロンドンオリンピック代表のために現役に復帰していました。それで、2回戦で対戦することになったんです」


ロンドンオリンピックを目指し復帰したレジェンドと、高校生の対決。
世間の注目は明らかに山本にあった。


「山本さんはずっとレスリング界を引っ張ってきたスターだし、オリンピックを賭けて帰ってきたということで、マスコミもたくさん来ていました。でも私、注目を浴びるのが結構好きなんですよね(笑)山本さんとの試合ということで注目度があったので、“これで勝ったら目立てるな”と思っていた部分もあります」


しかし、怖さもあった。


「小学生の頃から、ずっとかっこいいと思って見てきた選手ですし、もちろん怖かったです。気迫もすごいし、握手をした時の圧はめちゃくちゃ強かったですね。“只者じゃないな”という雰囲気がやっぱりありました」


それでも登坂は勝つ。


「山本さんからしたら、私なんてノーマークだったと思います。でも、高校3年生で若さも勢いもあったので、負ける気はしていなかった。山本さんはブランクもあったし、年齢差もあったので、絶対負けちゃダメだなという気持ちで戦ったのを覚えています」


試合後、山本の父が口にした言葉が、偶然登坂の耳に入ったという。


「たまたま私が近くにいて、話している内容が聞こえたんです。『まさかここで美憂が負けるとは思わなかったけど、相手はすごくいい選手だった。絶対にあの子は強くなる』と言ってくれてて。偶然聞いちゃったんですけど、それが本当に嬉しかったですね」


この全日本選手権の後、山本は海外に拠点を移すため、登坂との試合が日本でのレスリング最後の試合となった。

決勝は小原日登美、世界王者の強さを肌で知る


登坂はその勢いのまま勝ち進み、決勝の舞台へと駒を進めた。

決勝の相手は、当時世界選手権8度優勝の世界王者・小原日登美。


「小原さんは準決勝までずっとフォール勝ちだったので、みんなが私のフォール負けですぐ終わると思っていました。先輩たちには『差がありすぎて可哀想』とか『決勝に上がるの恥ずかしくない?』とか心配されちゃって(笑)決勝戦でボロ負けは見ていられないですからね。それくらい小原さんとは実力の差があったんです」


そもそも決勝に進めたことも運が良かったという。


「警戒していた選手たちが、私との試合前に軒並み負けていって、それで決勝までいけちゃった感じはあります。本当にノーマークだったので、誰も私が決勝までいくと思っていないし、私自身も“1、2回は勝てたらいいな”くらいの気持ちでした」


実力差は明白。
それでも、登坂は簡単に負けるつもりはなかったと話す。


「勝つのは無理でも、何かやってやるとは思っていました。絶対、一発沸かせてやるって(笑)それで、本当に1点取ったんですよ!会場がめっちゃ沸きましたね。誰も私が点を取るなんて思ってないですからね」


しかし、その代償は大きかった。


「最終的には立っていられなかったです。その1点を取るのに全力を出し切っちゃって。小原さんはずっと攻めてくるんですよ。普通はある程度、お互いに見合う時間があるけど、その時間が全然なかった。ずっと動いているので、私も必然的に動かされてしまう。フェイントも常に入れてくるし、私はタックルに来られたら怖いので、フェイントでも全力で振り切るしかなくて、上下左右に動かされ続けました。点差は予想よりも開かなかったけど、試合中ずーっと遊ばれた感じでしたね。死にそうなくらいキツくて、あんなにフラフラになったことはない。人生で一番苦しかった試合かもしれないです」


結果、小原に敗戦し2位だったが、登坂にとっては嬉しい結果だった。


「1位と2位はドーピング検査で部屋に集まるのですが、私だけルンルンでしたね。2位だとオリンピック代表になれなかったということなので、他の2位の人はめちゃくちゃ落ち込んでいるんです。でも、私は初めてシニアの大会で成績を残せたので、すごく嬉しかったですね」


この全日本選手権は登坂にとって、今後の脚光を浴びる大きな転機となる大会だった。

出場ゼロ、それでも財産だった時間

その後、ロンドンオリンピック前に東京で開催されたワールドカップ団体戦では、小原と共に日本代表に選ばれた。


「階級ごとに代表は2人だったので、48キロ級は小原さんと私が選ばれました。でも、実力差がありすぎて、試合は全部小原さんが出ました。私は1試合も出られなかったんです」


しかし、その時間こそが財産だったという。


「大会中はずっと小原さんの練習相手をしていました。今まで合宿で一緒になることはあっても、レベルが違いすぎて、練習で直接関わったことはなかったんです。この時、初めて一緒に練習をさせてもらって、身体的にも技術的にもすごく差を感じました。“試合前にこんなにやる!?”というくらい、ずーっと打ち込みをやるんですよ。私はとにかくそれを受け続けて、また私の方がフラフラになっちゃって(笑)本当にすごい経験だったなと思います」


そして、小原はロンドンオリンピックで悲願の金メダルを獲得する。


「小原さんは51キロ級の世界王者でしたが、オリンピックで階級がなくて、苦労した選手の一人なんです。もともと48キロ級は妹の坂本真喜子さんが代表を目指していたんです。姉妹対決を避けるためには、吉田沙保里さんがいる55キロ級に上げるしかなかった。でも、吉田さんに勝てず、代表にはなれなかったんです」


小原は北京オリンピック後は一度引退し、妹のコーチとして指導にあたっていた。

しかしその後、妹からオリンピックの夢を託され、現役復帰を決断する。


「48キロ級に階級を下げての挑戦だったので、減量はすごく大変だったみたいです。肉体的にもかなりストイックにやってきて、怪我との闘いもあったり、本当にいろいろな挫折と苦労の中で掴み取った金メダル。人としての強さ、誰も真似できない金メダルだと思います。ロンドンで勝った時の表情は、単純に嬉しいとかじゃないですよ。苦労が滲み出てる喜び方というか…それが私はやっぱり忘れられないですね。本当に偉大な先輩でした」


小原は2012年ロンドンオリンピックの金メダルと共に現役を引退。

登坂が小原と対戦した試合は、2011年の全日本選手権が最初で最後だった。


レジェンドに勝ち、レジェンドに完敗した高校3年生。

あの日マットの上で感じた差と重みが、やがて登坂絵莉をオリンピックの頂点へと導いていくことになる。