
アテネオリンピックが変えた日本女子レスリングの景色―世界王者たちが同じ土俵に立った2004年
2004年のアテネオリンピックで女子レスリングが正式種目となった。
その瞬間、日本女子レスリングの歴史は大きく動く。
世界王者の称号を手にした者たちが、一斉に「オリンピック」というたった一つの椅子を目指したあの年を、当時小学生だった登坂絵莉はその目で見ていた。
正式種目になる前から世界では勝っていた
「アテネオリンピックで正式種目になる前から、日本の女子レスリングはすでにすごく強かったんです。世界選手権で連覇していたり、世界チャンピオンになっている選手は多かったですね。中でも、山本美憂さん、聖子さんの姉妹はカリスマ的な存在だったと思います」
世界では勝っているのに、オリンピックには種目がない。
その状況が一変したのがアテネオリンピックだった。
「山本美憂さんは現役を引退していましたが、女子レスリングが正式種目になると決まって現役復帰しました。吉村祥子さんという世界選手権で5回優勝している選手もいましたし、山本聖子さん、吉田沙保里さんをはじめ、有力選手が一斉にオリンピック出場を目指して選考会に出てきたので、国内の争いがより熾烈になったと思います」
“世界一”と“オリンピック日本代表”は別物。
その現実が、国内を一気にヒートアップさせた。
4階級に凝縮された運命
当時女子レスリングは7階級に分けられていた。
しかし、オリンピックに採用されたのは4階級のみ。
「48キロ級、55キロ級、63キロ級、72キロ級の4階級だけだったんです」
そして、その影響を受けた選手は階級の変更を余儀なくされた。
「やっぱり印象的なのは山本聖子さんと吉田沙保里さんの代表争いですね。山本さんは当時59キロ級の世界チャンピオンでしたが、その階級はオリンピックには採用されませんでした。63キロ級に上げれば伊調馨さんがいて、55キロ級に下げれば吉田さんがいる。そういう状況の中で、山本さんが階級を下げて吉田さんと争ったんですよね」
そして運命のアテネオリンピック選考会。
これまでの直接対決は山本聖子が勝ち越していたが、日本代表の切符を掴んだのは吉田沙保里だった。
異次元の吉田沙保里と、山本一家の悲願
登坂の記憶に残るのは、吉田沙保里の圧倒的な攻撃性だ。
「タックルがめちゃくちゃ速くて、威力も強いし、今までの日本人にないような異次元な感じだったんです。徹底的に攻めるレスリングで、200%ぐらいずっと攻めてる感じ(笑)子どもの頃から、吉田さんのレスリングスタイルには憧れていました」
それでも当時の登坂は、山本聖子を応援していたという。
「吉田さんは山本さんよりも若いし、もしアテネに出られなくても、この後は絶対オリンピックに行くだろうと思っていました。でも山本さんは、お父さんがオリンピック代表だったこともあって、お姉さんの美憂さんも復帰したり、家族みんなでオリンピックを目指していて、“一家悲願のオリンピック出場なるか?”みたいな雰囲気がすごくあったので、山本さんが代表になれたらいいなと思っていました」
そして、この代表争いに勝利した吉田沙保里の快進撃はここから始まっていく。
「吉田さんはアテネオリンピックで金メダル、その後も国内選考を勝ち抜いて、北京、ロンドンも金メダル、霊長類最強と呼ばれるまでの絶対的王者になりました。本当にすごいと思います」
また、登坂はアテネオリンピック直前に富山で行われた代表合宿も忘れられないと話す。
「当時のレスリング協会の会長が富山出身だったこともあり、アテネ前に全日本合宿を富山でやったんです。代表になった伊調千春さん、吉田沙保里さん、伊調馨さん、浜口京子さん、全員が来たんですよ。その時の練習を見に行くことができたのですが、もう空気が怖すぎて、子どもながらに“こんなにピリピリしてるんだ”と思ったのを覚えています。それでも、オリンピック代表選手の練習を目の前で見れた経験はとても大きかったですね」
アテネオリンピックでは、4階級すべての選手がメダルを獲得し、日本女子レスリングの強さを世の中に知らしめた。
だがその栄光の裏には、国内で代表になるための熾烈な戦いがあった。
世界王者でも日本代表になれない。
階級が変われば、物語も変わる。
その縮図が、アテネオリンピックの代表争いだった。
登坂絵莉が小学生で感じた日本の強さは、やがて自分自身がその渦の中に立つ未来へと確かにつながっていた。
