
パリオリンピックから5日、三井愛梨が海を渡った理由~オーストラリアで見つけた新しい水泳との向き合い方~
2024年に開催されたパリオリンピックは三井愛梨(旭タンカー所属)にとって初めてのオリンピックだった。
代表選考会は自己新記録で優勝し、日本代表の座を掴み取った。
結果は準決勝敗退。決勝進出には進めなかった。
大学2年生の夏、思うような結果を出せず、三井の初オリンピックは悔しい結果で幕を閉じた。
パリオリンピックを終えてわずか5日後、三井はオーストラリアへと飛び立った。
法政大学のカリキュラムで語学学習を主な目的とした短期留学だったが、オリンピックの悔しさから水泳と少し離れたいと思っていた三井にとってはいいタイミングだった。
水泳を続けるか、辞めるかという葛藤はあったものの、現地のスイミングクラブのコーチから水泳、学業、プライベート、それぞれのバランスが大事だという気づきを与えてもらい、水泳との距離を測り直す大切な時間にもなった。
やがてその気づきは、本格的に海外へ進学したいという強い思いへと繋がっていく。
「水泳だけじゃない」アメリカ進学で描く新しいアスリート像

大きな転機となったのは、オーストラリア滞在中にアラバマ大学のコーチからインスタグラムに届いた「アメリカの大学に興味はないか?」というDMだった。
日本人の男子選手と女子選手をそれぞれ取りたかったようで、年齢が若いトップクラスの選手を探していたという。
そこで目に留まったのが三井だったのだ。
「本当にびっくりしました。最初は何の話かわからなくて。突然連絡がきて、えー!という感じでした」
三井は高校卒業後の進路として、海外留学を考えていた時期があったのだが、その当時は自分には無理だと諦めてしまったという過去がある。
そんな三井にとって、アメリカの大学に興味はないか?という誘いは、驚きとともに嬉しい話でもあった。
オーストラリアから母親にLINEで「どうしよう?」と相談しつつ、アラバマ大学のコーチには「興味があります」と返信をした。
興味があるなら手助けをするという返事をもらい、電話で色々話を聞いたり、候補の大学の写真や動画を送ってもらったりしたという。
周囲の人たちにも相談しながら様々な道を探る中、「アメリカの大学では学業の成績が悪ければ大会への出場はおろか、練習に参加することもできない」という話を聞いた。
オリンピック後、一度は引退を考え、泳ぐことの楽しさを見失っていた三井だが、オーストラリアで水泳とそれ以外のバランスの大切さを学び、再び泳ぐことの楽しさを思い出すことができた。
日本ではどうしても生活の中心が水泳になってしまうが、アメリカでは学業と水泳の両立が求められる。
水泳、学業、プライベート、それぞれのバランスを大切にしたい。それを叶えるための環境がアメリカにはある。
そこに三井は魅力を感じたという。
また、トップクラスで活躍する複数の同世代の水泳選手たちが、日本の大学を経ずに直接海外の大学へ進学する道を選択していることも大きな刺激になった。
もちろん不安や迷いはあったが、最終的に母親から「チャンスの女神は前髪しかないとよく言われるから、これはどう考えても、人生に1度あるかないかくらいの話だと思うよ」と背中を押され、アメリカ進学への決意が固まった。
実際にアメリカに行き、候補の大学を直接見学し、悩んだ末に三井はカリフォルニア大学バークレー校(以下UCバークレー)へ進学することを決めた。
決め手となったのは、UCバークレーの立地や街の雰囲気などから感じたフィーリングだという。
パリオリンピックで味わった悔しさ、オーストラリアの短期留学で得た学び。
それらすべてが、三井を次のステージへと導いた。
水泳選手としての新たなチャレンジとさらなる成長を胸に、三井愛梨の次なる舞台がアメリカ・UCバークレーで始まる。
