
試合で緊張しない方法は?現役オリンピアン、五輪金メダリストが語る本番前のメンタル術
「練習ではできるのに、本番になると力が出せない」「試合前に手が震えて、頭が真っ白になる」
こうした悩みを抱えるアスリートは少なくありません。しかし、オリンピックや世界選手権で結果を残してきたトップアスリートたちも、緊張や不安と向き合いながら大舞台を戦ってきました。違いは「緊張を完全になくせたかどうか」ではなく、「緊張との付き合い方を自分なりに見つけられたかどうか」です。
この記事では、スポーツ心理学の一般的な知見に加えて、実際にオリンピックや世界大会を経験した4名のアスリート(レスリングの登坂絵莉さん・土性沙羅さん、柔道の出口クリスタさん、水泳の三井愛梨さん)への取材で聞いたリアルな言葉をもとに、試合前の緊張を味方にする方法を解説します。

この記事で紹介するアスリート
- 登坂絵莉(レスリング/2016年リオ五輪金メダリスト・スマイルコンパス理事長)
- 土性沙羅(レスリング/2016年リオ五輪金メダリスト・至学館大学コーチ)
- 出口クリスタ(柔道/2024年パリ五輪カナダ代表金メダリスト)
- 三井愛梨(水泳/2024年パリ五輪日本代表・カリフォルニア大学バークレー校)
※本記事はスポーツ心理学の一般的知見とトップアスリートの体験談を紹介するものであり、医療・心理療法上のアドバイスではありません。強い不安や心身の不調が続く場合は、医師・公認心理師・臨床心理士などの専門家への相談をおすすめします。
試合前に緊張するのはなぜ? メカニズムを知ると対処法が見える

まずは「なぜ緊張するのか」を理解しましょう。緊張の正体を知れば、それは倒すべき「敵」ではなく、身体が本気で準備に入った「サイン」だと捉えやすくなります。さらに、心理学では、覚醒レベルとパフォーマンスの関係を説明する代表的な考え方もあります。仕組みを押さえることが、後半で紹介する具体的なテクニックを効かせる土台になります。
緊張は「敵」ではなく「準備完了のサイン」
試合前に心臓がバクバクする、手汗が止まらない、身体がこわばる。こうした反応には、脳や自律神経、アドレナリンやコルチゾールなどのホルモンが関わっています。大事な場面を前に、身体がすぐ動けるように準備している状態です。
つまり緊張は、それ自体が不調や弱さを意味するものではありません。問題は「緊張していること」ではなく、緊張が高くなりすぎて身体や判断が固まってしまうことです。
2016年リオ五輪レスリング女子フリースタイル48kg級で金メダルを獲得した登坂絵莉さんは、現役を引退した今もなお、緊張を「消すもの」ではなく「付き合うもの」だと語ります。
登坂 絵莉
「緊張はするものかなって、やっぱり今振り返っても思うかな。逃れられるものでもないと思うし、勝ちたいと思えば思うほど、成功したいと思えば思うほど、それはあるものだと思うので、付き合っていくものみたいな感覚の方が強い気はしますね。 前に水谷隼さんとお話した時に、水谷さんは「経験」っていうお話もされてて、確かに経験があれば想定の幅が広がって、不安も少なくなってくるかもしれないと思うから、確かにそうだなと思ったのと、あとはもう圧倒的な実力。だって子供とやる時って絶対緊張しないじゃないですか。圧倒的なレベルまで強いとか実力があれば、多分緊張ってしないんですよ。でもそんな簡単な戦いはないんで、結局は緊張しちゃう。だからこそ、付き合っていくっていう思いの方が強いですよね」
「緊張は逃れられない。だからこそ付き合う」というのは、頂点を経験した人だからこそ説得力のある言葉です。緊張をゼロにしようとすると、かえって「緊張している自分」に意識が向いて悪循環に入りやすくなります。まずは「あって当然のもの」と受け止めることが、最初の一歩になります。
指導者の立場からは、リオ五輪レスリング女子フリースタイル69kg級金メダリストで、現在は至学館大学レスリング部コーチを務める土性沙羅さんが、緊張した選手にどう接しているかを語ってくれました。
土性 沙羅
「選手には『練習であれだけやったんだから、自分を信じて、楽しんでおいで!』と声をかけます。 逆に声をかけない方がいいと思う場面は、選手が自分の世界に入りこんでいる時や、頭の中でシミュレーションを繰り返している時です。そういう時は話しかけないようにしますが、選手の視界には入っているようにします」
「声をかける」だけでなく「あえて声をかけず、ただ視界に入る」という距離の取り方は、自分自身が極限の緊張を経験し、いまは選手を送り出す立場でもある土性さんならではの視点です。緊張している時、必要なのは助言よりも「見てくれている人がいる」という安心感なのかもしれません。
最適な緊張レベルがある──ヤーキーズ・ドットソンの法則
心理学では、覚醒レベルとパフォーマンスの関係を説明する代表的な考え方として、ヤーキーズ・ドットソンの法則があります。一般に、覚醒レベルが低すぎても高すぎてもパフォーマンスは落ちやすく、適度な覚醒がパフォーマンスを支えやすいと説明されます。
- 緊張が低すぎる → 集中が入りにくく、油断や反応の遅れが出やすい
- 緊張が適度 → 集中しやすく、身体も動かしやすい
- 緊張が高すぎる → 視野が狭くなり、身体や判断が固まりやすい
ただし、「ちょうどいい緊張」は競技、課題の難易度、性格、経験によって変わります。目指すべきは「緊張をゼロにすること」ではなく、自分が動きやすい緊張レベルに調整することです。この記事で紹介するテクニックは、緊張を消す道具ではなく、高すぎる緊張を下げたり、気持ちが入らない時にスイッチを入れたりするための調整ツールだと認識するといいでしょう。
試合前の緊張を味方にする5つの実践テクニック

ここからは、トップアスリートの体験談とスポーツ心理学の知見をもとに、試合前に使いやすいテクニックを5つ紹介します。「呼吸法」で身体を整え、「ルーティン」で心を安定させ、「セルフトーク」で思考を切り替え、「メンタルリハーサル」で不安を減らし、「グラウンディング」で今に戻る。いずれも特別な道具はいりません。一度に全部やろうとせず、自分に合いそうなものから1つずつ試すのがコツです。
テクニック1|4-4-8呼吸法で身体を落ち着ける
最もシンプルに始めやすいのが呼吸法です。たとえば、次のように吐く時間を長めに取る呼吸を試してみましょう。
- 4秒かけて鼻からゆっくり吸う
- 4秒間、無理のない範囲で息を止める
- 8秒かけて口からゆっくり吐く
- これを3〜5回繰り返す
吐く時間を長めに取る呼吸は、心拍や筋肉のこわばりに意識を向けすぎている状態から抜け出し、心身を落ち着ける助けになることがあります。使うタイミングは、ウォーミングアップ前、試合直前のベンチ、控え室などです。息苦しさやめまいを感じる場合は、無理に続けないでください。
呼吸そのものより「身体の力みをどう抜くか」を重視していたのが、柔道で2019・2023年世界選手権を制し、2024年パリ五輪女子57kg級で金メダルを獲得した出口クリスタさんです。出口さんは2026年3月に現役引退を表明しています。現役時代は、緊張すると身体がこわばるタイプだったといいます。
出口 クリスタ
「私は緊張すると体がこわばっちゃう。私は『刃牙』という漫画が好きなんですけど、主人公が水をイメージするんですよ。自分の体の中に水が流れてるイメージをしてて、「これめっちゃいいじゃん」と思って。もともと体の力が強くてこわばりやすいから、なるべく水とか、液体に近いものをイメージして、最初に入ろうとする。 一番最初、ファーストコンタクトって結構大事なんで。柔道って一発目の踏み合ったところで投げられちゃうことも多いから、そこを大事にしたくて、水をイメージしてましたね。 呼吸はついてくると思う。体とかメンタル的な部分をちゃんとコントロールできれば、呼吸はついてくる。やっぱり脱力からインパクトが一番生まれると思ってるんで、こわばった状態で手を鳴らそうとしても上手く鳴らないけど、脱力してるからパンっていく。そんなイメージです」
呼吸法を「正しくやろう」と意識しすぎると、それ自体が新たな緊張になることがあります。出口さんのように「身体の力みを抜くイメージ」を先に持ち、呼吸は後からついてくると考えると、力みやすい人ほど取り入れやすいはずです。
テクニック2|自分だけのプレパフォーマンス・ルーティンを作る
試合前に毎回同じ動作や手順を行うことを、スポーツ心理学ではプレパフォーマンス・ルーティンと呼びます。ルーティンは、試合前の不確実な時間に「いつも通り」を作り、集中しやすい状態へ入るきっかけになります。
作り方のポイントは次の通りです。
- 試合前の準備行動を3〜5ステップで決める
- 毎回同じ順番で行う
- 練習のときから本番と同じルーティンを実行する
- 本番でできないほど複雑にしない
大切なのは「何をするか」よりも、毎回同じことをする安心感です。登坂さんのルーティンは、試合前日の計量直後から始まる、驚くほど具体的なものでした。
登坂 絵莉
「私は前日の計量後から始まってましたね。 計量が終わったら、ずっと減量してたので、温かいお味噌汁を飲んだり、おかゆを食べてお腹を慣らして、夜ご飯は牛丼を食べに行く。それは決まってました。近くの牛丼屋にいつも仲間と2人で行って、そこから寝る前にどん兵衛を食べて寝るまでがセット。 計量後は、まず牛乳を飲んでいました。胃に膜を張るって聞いたことがあって。朝は起きたらオレンジジュースとおにぎりとお味噌汁。おにぎりの具は昆布です。 あとは朝、西野カナさんの歌を20分。そこからthe pillowsの曲に切り替えてホテルを出る。オリンピックの時は西野カナさんだとトリセツとか。超ゴリゴリの失恋ソングも朝から歌っていってましたね」
注目すべきは、内容が「勝つための特別な儀式」ではなく、味噌汁・牛丼・好きな音楽というごく日常的な行為だという点です。ルーティンの目的は不思議な力に頼ることではなく、「いつもと同じ」を再現して心を平常運転に戻すこと。だからこそ真似すべきは中身ではなく、「自分にとってのいつもを決めて毎回繰り返す」という構造そのものです。
指導者として選手のルーティンをどう見ているか。土性さんは、自身が試合直前に必ず行っていた動作についても触れてくれました。
土性 沙羅
「マットに上がったら必ず股割りをして、気合いを入れていました」
「マットに上がったら股割り」というように、ルーティンの最後は身体を使った一つの決まった動作で締めると、心が切り替わりやすくなります。複雑な手順より、確実に毎回できる単純な動作のほうが、本番では機能します。
整える「場所」が変わると、ルーティンも揺らぎます。日本とアメリカの両方で戦ってきた三井さんは、試合前の仕組みの違いに戸惑ったといいます。
三井 愛梨
「日本の試合はどこでも招集所があって、予選も決勝と同じように段階を踏んで整えていくんです。でもアメリカの予選にはそれがなくて、自分の組の時間になったら『入って泳いでね』という感じ。コールルームがないので、最初は気持ちを整える場所がなくて、いつ行けばいいのかソワソワしました」
「整える場所」も、実はルーティンの一部です。環境が用意してくれる前提が崩れたとき、自分で整える時間と場所を確保できるかどうかが鍵になります。
テクニック3|セルフトークを書き換える
試合前に頭の中で繰り返される言葉を、スポーツ心理学ではセルフトークと呼びます。セルフトークは、集中や自信、行動の選択に影響することがあります。ネガティブな言葉が浮かんできたら、次のように「行動に戻れる言葉」へ変換してみましょう。
| 浮かびやすい言葉 | 行動に戻す言葉 |
| 「負けたらどうしよう」 | 「勝つために今できることに集中する」 |
| 「相手が強すぎる」 | 「まず自分の最初の動きをやる」 |
| 「緊張してきた」 | 「身体が準備モードに入った」 |
| 「失敗したくない」 | 「自分のベストを出すだけ」 |
| 「みんなが見ている」 | 「自分のプレーに集中する」 |
土性さんは、現役時代に自分へかけていた言葉を具体的に教えてくれました。大舞台でも、かける言葉の軸はほとんど変えなかったといいます。
土性 沙羅
「『わたしなら絶対に勝てる』『今までやってきたことをやれば負けない』など、自分を信じるような言葉掛けをしていました。 オリンピックや世界選手権では舞台が大きくなりますが、自分にかける言葉はほとんど同じです。プラスして『これだけやってきた』『この舞台に立つためにやってきた』など、自分を奮い立たせる言葉をかけていました」
一方で、セルフトークは万人に必須というわけではありません。出口さんは「考えすぎないこと」をむしろ大事にする、対照的なタイプでした。
出口 クリスタ
「私は考えすぎるとダメなタイプなんです。体が固まっちゃうから。事前に相手の情報を頭に入れすぎると、その選手の得意技とか、そればっかりを警戒しちゃって、その他の技に対応できなくなる。 なので、具体的な情報としては右組か左組かぐらいで、あとはもう畳の上で対応するっていうのが私のスタイルですね。一時期ちゃんと相手を研究してた時期もあったんですけど、やっぱり自分には合ってないなと感じてやめました」
つまりセルフトークは「正解の言葉を増やす」ことが目的ではありません。土性さんのように力をくれる言葉を持つのが合う人もいれば、出口さんのように「考える材料を減らして身体に任せる」のが合う人もいます。大切なのは、自分がどちらのタイプかを知り、頭の中の言葉を「自分が動きやすい状態」に向けて整えることです。
テクニック4|メンタルリハーサル(イメージトレーニング)
試合の流れを事前に頭の中で体験しておくことは、本番の不確実性を減らす助けになります。イメージトレーニングを行う時は、視覚だけでなく、音、身体感覚、会場の雰囲気まで具体的に思い浮かべると、本番に近い準備になりやすいとされています。
基本の手順は次の5ステップです。
- 静かな場所で目を閉じる
- 試合会場の風景・音・温度をリアルにイメージする
- 自分が良いパフォーマンスをしている姿を描く
- うまくいかない場面と、そこから立て直す動きも描く
- 最後に「やることが明確になった」という感覚で終わる
セオリーとしては、うまくいかない場面からの回復もイメージしておくと、本番で慌てにくくなります。ただし、これにも個人差があることを、登坂さんの証言は教えてくれます。
登坂 絵莉
「試合の前、こういう風な試合をしようっていうのは考えるんですけど、実際は開始10秒ぐらいでタックル取って、アンクル掛けてテクニカルフォールで勝つんですよ。何のイメージにもならない。『勝った!やったー!』みたいな。私の場合は、超願望込みのイメージトレーニングなので、みんなが思ってるイメージトレーニングではないかもしれないですね。 あんまり相手をすごく研究するタイプでもなかったですね。レスリングって0.0何秒の世界なので、相手はこのタックルが得意ってなっても、それを意識しすぎて違う技でこられた時に反応できなかったりという怖さもあった。だから研究しすぎないようにして、こういう技があるみたいなのを全般理解しておくぐらいでした。(うまくいかないパターンのイメージは)しないですね。基本はテクニカルフォールのみです(笑)」
教科書的には「失敗からの立て直しも描く」のが有効とされますが、金メダリストである登坂さんは「成功イメージだけ」で気持ちを作っていました。ここから言えるのは、メンタルリハーサルに唯一の正解はないということです。失敗の想定が安心につながる人もいれば、成功イメージで気持ちを高め切るほうが合う人もいます。まずは両方を試し、本番で自分が動きやすかったほうを採用してください。
テクニック5|グラウンディングで「今」に戻る
緊張が強くなる原因の多くは、過去の失敗を思い出すか、未来の結果を心配するかのどちらかです。そんな時は、意識を「今この瞬間の身体感覚」に戻すグラウンディングが役立ちます。
試合直前にも使える10秒の手順を紹介します。
- 足の裏が地面に触れている感覚に意識を向ける
- ゆっくり3回呼吸する
- 「今、ここ」と心の中で唱える
土性さんが試合直前に行っていた「マットに上がったら必ず股割りをして気合いを入れる」という動作は、身体感覚を通じて意識を「今」に引き戻す行為とも捉えられます。頭の中の不安をどうにかしようとするより、足裏・呼吸・特定の動作といった身体の感覚に注意を向け直すほうが、緊張のループから抜け出しやすくなります。
難しく考えず、「自分が必ずできる一つの動作」を“今に戻るスイッチ”として決めておきましょう。
試合当日のタイムライン別チェックリスト

5つのテクニックを「いつ使えばいいのか」を時系列で整理しました。試合2〜3時間前から直前まで、各タイミングでやることをまとめています。試合当日にこのページを見返すだけで実践できる構成です。
| タイミング | やること |
| 試合2〜3時間前 | いつも通りの食事・水分補給/メンタルリハーサル(テクニック4)/音楽・ストレッチなど自分のルーティン開始(テクニック2) |
| 試合1時間前 | ウォーミングアップ開始/自分に合うセルフトーク(テクニック3)/SNSや余計な情報を見すぎない |
| 試合30分前 | 4-4-8呼吸法で身体を落ち着ける(テクニック1)/ルーティンの最終ステップ(テクニック2) |
| 試合直前 | 10秒グラウンディング(テクニック5)/「緊張は準備完了のサイン」と自分に声をかける(テクニック3)/ベストを出すことだけに集中 |
実際の大舞台で、トップアスリートがどんな身体・心理状態で試合に入っていたのか。登坂さんはリオ五輪の決勝前を、こう振り返ってくれました。準備通りに進まないことすらある、というリアルな証言です。
登坂 絵莉
「体は正直、良くはなかったですね。もともと怪我してた母趾球の痛み止めを何回も打ちながら練習もしてたんですけど、結局前日に打った痛み止めが全然効かなくて。自分はもう最後どうなってもいいから、痛くても仕掛けるって気持ちでいるんですけど、脳が痛いことを覚えてるんで、反射で体を前にと思ってもいかないんですよ。脳がブレーキをかけちゃう。心と脳と体の動きが全然連動してない感じがして、全然良くなかったですね。 会場の雰囲気は良かったですよ。ブラジルってレスリングがさほど盛んな国ではないので、どこの国を応援するかとなったら、親日の方も多かったので『ジャパーン!』みたいな感じで、ホームのような感覚もあるぐらいでした。ただ、盛り上がりすぎてセコンドの声はひとつも聞こえない。そこには一切頼れなかったですね」
金メダリストでも、決勝の舞台では身体が思い通りに動かず、頼りにしたいセコンドの声すら届かない。それでも勝ち切れたのは、緊張や不利な状況を「想定外の異常」ではなく「起こりうること」として受け入れていたからです。チェックリストはあくまで土台です。その通りにいかない前提でいることも、本番に強くなる準備だといえます。
引退・指導の視点から見た「緊張」の本当の価値
同じ「緊張」というテーマでも、現役を退き、競技を外から見られるようになった今だからこそ語れる視点があります。ここでは、引退後のアスリートである登坂さん・出口さんと、指導者として選手を送り出す立場になった土性さんが、それぞれの場所から見えた「緊張の意味」を紹介します。
引退して気づいた「緊張」との距離感
出口さんは、競技中の緊張と、引退後に経験する「人前で話す緊張」はまったく別物だと語ります。そのうえで、緊張は一概に悪ではないと結論づけています。
出口 クリスタ
「人前で話すのは、全然違いますよ。試合の時は緊張しないけど、やっぱり人前に立つと緊張します。私は目の前にいる相手と1対1の戦いだったし、集中すると周りが見えなくなるタイプなんで緊張しなかった。でも今、講演とかメディアは1対1じゃなくて、周りに大勢いる中で言葉を使ってアピールしなきゃいけない。これは結構難しいですね。 柔道だったら緊張しない方が私はいいと思うんですけど、人前で喋るとか言葉を武器にしてる時は、ちょっと緊張しておかないと変なことを言いそう。だから少しの緊張感はないとダメだなと思っています。緊張しすぎても自分の良さは出せなくなっちゃうけど、緊張が悪いということはないと思う。その場その場によりますよね。選手の場合は、やっぱり試合をやってみないとわからないから、大会にたくさん出た方がいいと思うし、場数も大事ですね」
「緊張が悪いとは思わない。その場その場による」。数々の大舞台を経験した人の結論が「緊張を消す」ではなく「場面に応じて付き合う」である点は、緊張に悩む人にとって大きなヒントです。緊張は性格の欠陥ではなく、本気で挑む場面で起こりうる、調整可能な反応です。登坂さんもまた、引退して時間が経った今でも、緊張は「付き合っていくもの」という感覚が強いと語っていました。頂点を極めた二人がそろって「消す」ではなく「付き合う」と語ること自体が、この記事の結論を裏づけています。
選手を「送り出す側」になって変わった緊張の質
土性さんは、現役を退いて指導者になったことで、緊張の質そのものが変わったといいます。これは、選手から指導者へと立場が変わった人だからこそ語れる視点です。
土性 沙羅
「現役時代は、緊張していても、最後は自分の体と意志で試合を動かせましたし、心臓がバクバクしても『始まってしまえば緊張しない』という出口がありました。 でも、送り出す側にはその出口がありません。マットの上で戦うのは選手であり、自分にできることは選手を信じることと声掛けだけなので、指導者ならではの重い緊張というものに変わりました」
「自分で動かせる緊張」と「相手に託すしかない緊張」は質が違う。この証言は、選手だけでなく、子どもを応援する保護者や、選手を送り出す指導者の心にも届くはずです。緊張は立場によって形を変えますが、「大切なものに本気で関わっている証拠」である点は、選手も指導者も保護者も変わりません。
よくある質問(FAQ)
試合前の緊張に関して、アスリートからよく寄せられる質問に回答します。いずれも多くの選手が経験する悩みです。
Q1. 緊張しすぎて眠れない夜はどうすればいい?
試合前夜に眠れないのは、多くのアスリートが経験することです。一晩眠れなかっただけで必ず大きくパフォーマンスが落ちるとは限りませんが、睡眠不足は集中力・判断力・競技特異的なパフォーマンスに影響する可能性があります(Fullagar et al., 2015)。
大切なのは、「眠れないことへの焦り」でさらに覚醒を高めすぎないことです。横になって呼吸を整えるだけでも、身体を休める時間になります。「眠れない自分はダメだ」と責めるのではなく、「目を閉じて身体を休めれば十分」と捉え直しましょう。強い不眠が続く場合は、医師など専門家への相談も検討してください。
Q2. 緊張で手が震えるのを止める方法は?
手の震えは、緊張に伴う生理反応として起こることがあります。意志の力だけで完全に止めようとすると、かえって震えに注意が向きすぎる場合があります。まずは「震えても試合はできる」と受け止めることが大切です。
手をグーパーと強く握って開く動作を10回ほど繰り返したり、足裏の感覚に意識を戻したりすると、注意を競技そのものへ戻しやすくなります。震えを「消す」よりも、震えがあっても動ける状態を作ることを目指しましょう。
Q3. 緊張は完全になくすべき? それとも少しは残すべき?
結論から言えば、完全になくす必要はありません。出口さんが「緊張しすぎても自分の良さは出ないけど、緊張が悪いとかはないと思う」と語ったように、適度な緊張は集中や準備のサインにもなります。
目指すのは「ゼロ」ではなく「自分が動きやすい状態」です。緊張をなくそうとするのではなく、高すぎる時に下げる手段、気持ちが入らない時にスイッチを入れる手段を持っておく、という発想に切り替えましょう。
まとめ──緊張は、あなたが本気で挑んでいる証拠
この記事では、緊張のメカニズムから5つの実践テクニック、試合当日のチェックリスト、そしてトップアスリートたちのリアルな声を紹介しました。最後に、5つのテクニックを一覧で振り返ります。
| テクニック | 目的 | すぐできる度 |
| 4-4-8呼吸法 | 身体を落ち着ける | ★★★ |
| プレパフォーマンス・ルーティン | いつも通りの入り方を作る | ★★☆ |
| セルフトーク | 思考を行動に戻す | ★★★ |
| メンタルリハーサル | 不確実性を減らす | ★★☆ |
| グラウンディング | 「今」に集中する | ★★★ |
大切なのは、一度に全部やろうとしないことです。まずは1つ選んで、次の練習から試してみてください。そして、この記事に登場した4名のアスリートの言葉に共通しているのは、緊張をなくそうとするのではなく、緊張と上手に付き合う方法を自分なりに見つけたということです。
登坂さんは「付き合っていくもの」、土性さんは「立場が変われば緊張の質も変わる」、出口さんは「緊張が悪いとは思わない」と、表現は違っても本質は同じでした。
緊張は、あなたが本気でその試合に挑んでいる証拠です。その緊張を、力に変えていきましょう。
参考文献・確認情報
本記事は、選手への独自取材に加え、以下の学術論文・公的情報を参照しています。出典の一覧は、下のボックスをクリックすると開きます。
参考文献・確認情報を表示(クリックで開く)
- Yerkes, R.M. & Dodson, J.D. (1908). “The relation of strength of stimulus to rapidity of habit-formation.” Journal of Comparative Neurology and Psychology, 18(5), 459-482.
- Hatzigeorgiadis, A., Zourbanos, N., Galanis, E., & Theodorakis, Y. (2011). “Self-talk and sports performance: A meta-analysis.” Perspectives on Psychological Science, 6(4), 348-356. https://doi.org/10.1177/1745691611413136</li>
- Vealey, R.S. & Forlenza, S.T. (2015). “Understanding and using imagery in sport.” In J.M. Williams & V. Krane (Eds.), Applied Sport Psychology: Personal Growth to Peak Performance (7th ed., pp. 240-273). McGraw-Hill Education.
- Fullagar, H.H.K., Skorski, S., Duffield, R., Hammes, D., Coutts, A.J., & Meyer, T. (2015). “Sleep and athletic performance: the effects of sleep loss on exercise performance, and physiological and cognitive responses to exercise.” Sports Medicine, 45(2), 161-186. https://doi.org/10.1007/s40279-014-0260-0</li>
- Röthlin, P., Horvath, S., Birrer, D., & Grosse Holtforth, M. (2016). “Mindfulness promotes the ability to deliver performance in highly demanding situations.” Mindfulness, 7, 727-733. https://doi.org/10.1007/s12671-016-0512-1</li>
- JOC「登坂絵莉」選手プロフィール:https://www.joc.or.jp/athletes/eritosaka/index.html</li>
- JOC「リオデジャネイロ2016 日本代表選手団メダリスト・入賞者一覧」:https://www.joc.or.jp/games/olympic/riodejaneiro/japan/winnerslist/</li>
- 至学館大学「レスリング部」:https://www.sgk.ac.jp/campus-life/wrestling.html</li>
- Team Canada「Christa Deguchi」プロフィール:https://olympic.ca/team-canada/christa-deguchi</li>
- Team Canada「Judoka Christa Deguchi wins Canada’s first gold medal at Paris 2024」:https://olympic.ca/2024/07/29/judoka-christa-deguchi-wins-canadas-first-gold-medal-at-paris-2024/</li>




