2026年5月7日

一般入部から“裏側の右腕”へ──青学・原晋監督を支える大杉柊平のキャリア(後編)

アスツナ編集部

マネージャー転向後、原晋監督の思考と行動を最も近くで見てきた大杉柊平。

現在は株式会社アスリートキャリアセンターの中核として、指導者研修や施設運営、講演対応など、競技の枠を超えた領域を担っている。
勝利の裏側にある判断、任せることで組織を強くする原監督の哲学を、大杉の視点からひも解く。

卒業後も続いた縁──原監督と再び働くまで


――卒業後、原監督と一緒に仕事をするようになった経緯を教えてください。

「大学4年生の時、監督が早稲田大学の大学院に通っていて、そこで学んだことなどをよく話してくれていたんです。上から一方的に指示するのではなく、コミュニケーションを取りながら指導する姿を見て、すごく勉強になると感じていました。

それから自分もスポーツについてきちんと学びたいと考えるようになり、監督と同じ早稲田の大学院に進学することにしたんです。大学院修了後は就職しましたが、監督とまだどこかで一緒に仕事ができたらという思いはずっとありました。

その後、監督が陸上界の発展のために法人を立ち上げたのですが、当時は青学時代の同期が陸上部のコーチとその法人業務を兼任していて、負担もあったようです。いろいろ話を聞いていく中で、自分もチャレンジしてみたいと思い、監督に直接お願いした形です」


――積極的にアプローチしたんですね。


「そうですね。自分から一緒にやらせてください、と話に行きました。頼まれてというよりは、やっぱりやる覚悟を見せないといけないなと思ったので。あとは、そういう姿勢が監督は好きだろうなと思って、ちょっと戦略的にアプローチした部分もありますね(笑)」


――現在、大杉さんが関わっている事業について教えてください。


「会社としては株式会社アスリートキャリアセンターという法人があり、原メソッド、青学メソッドを社会に展開していく事業を行っています。具体的には、部活動の地域展開に伴い、学校の先生以外の方が指導者になるケースが増えている中で、行政と提携してクラブの指導者向けに研修を行い、育成していくという取り組みです。

また、そのメソッドを実際に子どもたちに指導するため、バディスポーツ幼児園と提携して小中学生向けのランニングクラブを立ち上げ、週1回指導をしています。一般のランナー向けにも、月1回程度の練習会を行うランニングクラブの活動もしていますね」


――施設運営にも関わっていると伺いました。
 

熊本県水上村にある宿舎の運営と、東京駅八重洲近くにある小学校施設の指定管理業務を行っています。水上村の施設は、クロスカントリーのコースなど合宿に適した環境が整っている一方で、後継者がいないという課題があり、せっかくの施設が使われなくなってしまう可能性がありました。

そこで監督が買い取り、運営することになりました。陸上だけでなく、近隣の体育館に卓球台を設置したり、他競技でも合宿ができるようになっています。また、学生の合宿だけでなく、企業研修や一般の方にも使っていただける施設にすることで、交流人口を増やし、村の発展にも貢献していきたいと考えています。

八重洲の小学校施設は、放課後や土日祝日など小学校としての利用がない時間帯を、一般の方に開放する取り組みを行っています。非常にアクセスの良い施設で、体育館や運動場、プールなどをご利用いただいており、小学校施設を時間外開放するという新しい取り組みにチャレンジする機会をいただいています。一般開放をしている時間帯の受付やアルバイトのシフト作成、売上の集計といった管理業務がメインですが、ゆくゆくは自主運営のイベントなど、より発展的な事業計画を考えています」

――様々な事業の中で、大杉さんは主にどのような仕事をしていますか。


「私自身も様々な事業に携わらせていただいています。先程のランニングクラブでは、コーチとして小中学生への指導、市民ランナーとの練習会を行っています。子供たちへの指導では、自分自身の目標を設定してどのように実現するかを考えてもらったり、体の状態や練習の振り返りを自分の言葉で振り返ってもらったりするなど、勝ち負け以外でも成長できるような指導を行うようにしています。

そして、何よりも走ることを楽しみ続けてもらえるような指導を心がけています。指導者研修では講師も務めており、青学で実践されてきた子供たちの自律や、組織の成長を促すチームマネジメントの方法を広く指導者の皆様に講習を行っています。私よりも指導経験の長い皆様の前で話すのはとても緊張しますが、少しでも参考になることがあればと思い、お話をさせていただいています。

他には、監督や業務提携を行っているアスリートの講師派遣の対応も行っています。講演や番組出演の依頼をいただいた時の窓口などが主な仕事です。大舞台で成功を収め続けられてこられた方々は、偶然の成功ではなく、共通する成功のための要素を持っていると思ってますので、それを多くの方々に知っていただくお手伝いができればと思い、活動しています」

原晋監督の判断力と箱根駅伝、アクシデントからの発想転換


――監督と一緒に働く中で、すごいと感じる部分はどんなところでしょうか。


「任せるのが本当に上手なんですよね。監督自身が1から10までやるのではなく、どんどん権限を与えていくんです。ただ、完全に放任ではなく、要所では必ず確認し、最後の責任は必ず取る。そのバランスが絶妙だと思います。たまに任されすぎて、そんなに自分がやってしまっていいのかと、戸惑うこともありますが(笑)

監督がいつも言っている『今日の常識は明日の非常識』という言葉の通り、これまで当たり前だったことでも疑いながら、正しいことを選び続ける姿勢は、常に学ばせてもらっています。周りが言ってるからとか、誰が言ったからではなくて、自分が正しいと思うことをしっかりやりなさいと。

ここぞという時の嗅覚、物事の核となる部分、外しちゃいけないところを読み取る力がすごいんですよね。チームとして大事なところで、監督が与える影響力をしっかりわかって動いている部分も本当に上手いなと思います」


――今年の箱根駅伝での采配にも、その力が表れていますね。


「はい。戦略を立てる力がずば抜けていますし、やっぱり勝負師だなと思います。主力が故障で抜けた場合など、毎日区間配置を考えていると言っていました。

エース区間にはエースを置くというセオリーにとらわれず、全体の流れを見て配置を考える。平地ではひっくり返せる差が限られていても、山では大きく変わるので、箱根の特性を踏まえた上で、エースを五区の山登りに配置する。そういう全体的な展開を考えて、大胆な勝負を打てるのが監督の強みだと思います」


――アクシデントから生まれた印象的な判断はありますか。


「2021年のコロナ禍で観客を入れて開催した大会のことが印象に残っています。当時は新型コロナウイルス感染防止の観点から、多くの大会の縮小や中止が続いている状況でした。レースの中止や、無観客で応援のない中でのレースは、選手のモチベーション低下にもつながっていました。

そのような中で、陸上競技の大会を考え直した時に、屋外なので密閉された空間ではないこと、適切な距離を保っての応援も可能であると監督は考えました。そこで、観客同士の距離を保ったうえで競技場内に入れる人数の上限を計算したり、声出しを行わない新しい応援のスタイルを考えたりして、有観客での大会開催を実現しました。応援グッズとして音の出るアイテムの販売にも挑戦しましたが、こちらは思うような結果にはなりませんでしたが(笑)

応援してくださる方がいる中での大会開催で、選手たちのモチベーションは向上し、好記録にもつながりました。多くの方々に支えられて活動できていることも実感することができ、実現まで取り組んでみてよかったと思っています。当時は無料での観戦でしたが、有料での観戦に変更した現在でも、当時の2倍以上の観客の皆様にご来場いただける大会として継続できています。

私はマネージャーとともに大会運営に携わっていましたが、有観客開催に向けた準備は、半信半疑の部分もありました。どうしても周りの状況に合わせて、できない理由や、やらない理由を探してしまいがちになります。しかし、監督は常にできる理屈を考えて、未来志向で前向きに組織を導いています。その姿勢を信じることで、開催まで取り組むことができました。この考え方をもとに私自身やチームも、まずはできる理屈を考えて、取り組んでみるということにつながっています」

裏側を支える立場としての現在地


――原監督と仕事をする中で、大変さを感じる部分はありますか。
 

「任せてもらえる分、“どこまで自分が決めていいのか”と悩むことはあります。ただ、事業の核となる部分は密に連携を取り、常にポイントを押さえた指摘をしてくれますし、何かあった時は必ず後ろ盾になってくれます。多少の失敗では終わらせないように考えてくれている雰囲気も伝わりますし、のびのびやれているかなと思っています」


――監督に対して、不得意そう、苦手そうだと感じる部分はありますか。


「大人のスタッフや外部の関係者に指摘するのは苦手なのかもしれないです(笑)例えば、トレーナー同士で指導の方針に違いがあった時、監督からは直接指摘しないんですよね。『お前から言ってくれないか』という感じで、第三者に伝えさせる。でも、監督ほどの影響力がないので、いまいち聞き入れてもらえなくて…ということはありました」


――最後に、大杉さんの今後のビジョンを教えてください。


「原監督と出会って、自分の考え方は大きく変わりました。チャレンジする気持ちや正しい考え方など、監督から学んだことがたくさんあります。講師として表に立つ機会も増えたので、青学メソッドを伝えることで、将来青学を目指したいと思ってくれる子どもたちが増えたら嬉しいですし、自分が変わるきっかけになった考え方など、監督の下で培ってきたものをもっと広く伝えられるような活動ができたらいいなと思っています」


走ることをやめても、陸上から離れることはなかった。

原晋監督の隣で、任され、支え、学び続ける。

その歩みこそが、今の大杉柊平をつくっている。