
一般入部から“裏側の右腕”へ──青学・原晋監督を支える大杉柊平のキャリア(前編)
一般受験で青学陸上部に入部し、箱根駅伝初優勝から4連覇という黄金期をチームの一員として過ごした大杉柊平という人物がいる。
しかし、その立場は主力選手ではなく、途中で選手の道を断たれた一人でもあった。
挫折の先で選んだのは、マネージャーとしてチームを支える道。
原晋監督との出会い、そして「輝ける場所は人それぞれある」という言葉が、その決断を後押しした。
競技人生のスタート地点
――まずは大杉さんのプロフィールから教えてください。
「はい。今の年齢は30歳で、出身は静岡県浜松市です。青山学院大学の陸上競技部に所属していた時は、選手とマネージャーの両方を経験しました。卒業後、早稲田大学の大学院でスポーツビジネスについて学び、現在は原晋監督のもとで一緒に仕事をしています」
――陸上競技はいつ頃から始められたのですか。
「本格的に始めたのは高校からです。幼稚園から中学まではずっとサッカーをやっていました。でも、走ることがもともと好きだったので、小学生の頃から持久走大会に出たりしていました。
中学生の時に市内の駅伝大会があり、それに出るために学校内で期間限定の駅伝部が立ち上がるのですが、1年生の頃からメンバーに入っていました。そこから走ることがどんどん楽しくなって、3年生の時には区間2位、全体で4位の成績を収めることができ、駅伝がより好きになりました。
高校から本格的に陸上部に入り、長距離を専門に練習するようになったのですが、部活自体は強くなかったですね。長距離専門の先生がいたわけでもないので、自分たちで相談しながらメニューを考えて練習するという感じでした」
――青学陸上部に入部した経緯を教えてください。
「青学にはスポーツ推薦ではなく一般入試で入学しました。箱根駅伝が強い大学を5校くらい受験して、合格した大学の一つが青山学院大学です。
入学先を考える中で、高校の先生を通じて大学の監督方に連絡を取っていただき、話す機会をもらいながら、最終的にご縁をいただいたのが青学でした。基本的に一般生の入部は取っていなかったのですが、『合宿に一度来てくれないか』と言っていただき、練習に参加する機会をもらったんです。
その時のチームの雰囲気がすごく良くて、外部から参加する自分のことも受け入れてくれる空気がありました。選手同士がしっかりコミュニケーションを取っていて、短い合宿の中でも居心地の良さを強く感じました。
原監督は推薦ではない自分のこともしっかり練習を見てくれて、指導を受ける中でこれまで出会ってきた指導者とは雰囲気や接し方が違うと感じて、“ここでチャレンジしたい”と思ったんです。それで、一応練習についていけるくらいの実力はあったので、何とか入部を認めていただいたという形です」
足切りタイムと決断。選手からマネージャーへ

――青学での4年間は、どのような時間でしたか。
「正直、選手時代は苦しいことの方が多かったです。練習は実力ごとに5、6チームに分かれていて、同じメニューでもチームごとにタイム設定が違うのですが、なかなかタイムが上がらず、ずっと一番下のチームでした。
他の人よりも補強トレーニングをしたり、プラスアルファで工夫はしていましたが、思うような成果にはつながらず、上に上がることもできませんでした。練習の強度も高く、内容についていくのにいっぱいいっぱいで、試合でもなかなか結果を残せず、というのが選手時代です」
――そこから大きな転機があったと。
「はい。2年生の夏頃に、5000mの足切りタイムというのがあるんです。これ以上選手として見ていくのは厳しいという基準になるタイムです。
監督からは『あと半年、次の箱根駅伝まで全力でやり切って、もしタイムが切れなかったらマネージャーになる選択肢もあるし、普通の大学生として過ごすという選択肢もある。そのタイミングで今後の進路を考えよう』と言われました。自分なりにいろいろ取り組みましたが、結局そのタイムを突破することができず、選手は引退してマネージャーになる決断をしました」
――足切りタイムの基準はどの程度だったのでしょうか。
「5000mで14分35秒程度でしたね。当時の関東インカレのB標準が基準だったのですが、自己ベストから20秒ほど速いタイムで、縮めることができませんでした」
――マネージャーという役割について、どのように感じていましたか。
「マネージャーの話が上がった時、自分自身では向いていないと思っていました。周りに気を配れるタイプでもないですし、基本的には自分のことに専念してしまう性格なので。ただ、チームの雰囲気や選手との関わりを考えたときに、“このチームでずっと挑戦し続けたい”と思ったんです。
そう考えたとき、マネージャーをやるという選択肢しかありませんでした。決断してからは、チームのために自分にできることを全力で頑張ろうという気持ちでやっていました」
――マネージャーへの転向を後押ししたきっかけなどはありましたか。
「監督から『選手としては輝けなかったかもしれないけれど、人それぞれ輝ける場所はある』と言われたことですね。自分が別の形でチームに貢献できるかもしれない、そう思えたことが決断する大きなきっかけになったと思います」
――今は青学は箱根駅伝の常勝校ですが、大杉さんが在学していた時は箱根駅伝ではどんな成績でしたか。
「自分が入学した時は5位が最高順位で、優勝はまだなかったのですが、1年生の箱根で初めて優勝することができました。そして、そこから卒業までの4年間で青学は4連覇しました。
自分は選手としては出られませんでしたが、チームの一員として初優勝から4連覇というすごく貴重な経験をさせてもらったと思っています」
選手として、マネージャーとして、大杉柊平が過ごした4年間。
その中で経験した挫折と栄光。
表舞台に立つことはなかったが、勝利の裏側を知る者としての4年間だった。
(後編へ続く)
